平成七年三月十八日梅若会
春の追善別会より
「清経」の恋之音取(こいのねとり)について
能楽評論家 山崎有一郎
平重盛の三男、清経は筑紫の戦いに敗れ、豊前国柳が浦の沖で、来し方行く末を思い、心行くまで笛を吹きすさび、今様を謡い、西に傾く月に極楽への導きを願って入水する。家臣の淡津三郎が、船上に残された形見の品と黒髪を持って都へ上がると、清経の妻は、戦死でなく、病死でもない彼の最期を恨み、悲しむ。妻の夢枕に立った清経の亡霊は、なおも恨みを言う妻に、戦いの世の非情と、修羅道の苦しみを仕方話に語り、この世もあの世も同じ身の哀れ、この哀れは、誰にとっても変わりはないものだと慰める。そして清経は、修羅道の戦いの中で、その清らかな心ゆえに仏果を得る。―――というのが「清経」のあらましで、俗に"恋の修羅"ともいわれる世阿弥の傑作の一。
「清経」は、詩情と哀愁に満ちた夫婦の情愛を謡い上げたもので、命をかけた恋愛至上主義を修羅の苦患に絡ませて謳歌した異色の曲である。
小書(特殊演出)「恋之音取」は、シテ清経ノ亡霊の出が特殊な演出になる。これは笛方の重い習で、地謡が「手向け返して世もすがら――」の終句を憂いを込め、調子を抑え「恋をしらすらん――」と謡い終わると、笛方は、膝行で、地謡方の前へにじり出、幕口を受けて座り特殊な「音取」を一管で吹き始める。シテは半幕で姿を見せ、一旦、幕を下ろし、再び嫋々として咽ぶが如き笛の音に引かれる心で、静かに幕を出る。橋掛りをゆっくり運んで、三ノ松で止まり、笛が吹きだすと、再び歩き出し、今度は二ノ松で止まり、また吹きだすと歩き、最後に一ノ松で止まると、笛方は、特殊な「恋ノ手」を吹くので、その笛に惹かれるように舞台へ入る。この断続的な笛の演奏が、一種の無常感を訴える。
常に謡う「聖人に夢なし――」のサシを小書では前段を省いて、「うたたねに恋しき人を見てしより――」から謡い出す。そして初同の後「今は恨みを晴れ候へ――」を謡うと、次のサシ「さても九州――」のシテ・地謡・ツレの掛合いが省かれ、地のサシ「そもそも宇佐八幡――」となる。また、クセのあと、ツレの「聞くに心も――」がなく、直ぐシテの「さて修羅道に――」になり、扮装も常の法被の肩脱を単法被を肩を取って付ける。
この小書で、いっそう夫婦の恋情が強調されるのであろう。なお一噌流では、「弱法師」の「一雙調之舞」とともに一子相伝とされる重い習だ。
平成6年第二回「招魂」より
「井筒」による"招魂"
能楽研究家 星田良光
招魂(おがたま)という特殊な名称で後援会を発足させた梅若靖記氏の意図を考えてみた。
能をもっと社会的に広い層に拡げて行きたいと氏は語っている。"招魂"とは日本人の最も根源的な思想である。人によっては、神道という宗教の儀式だと言うかもしれない。日本民族の発生とともに自然に醸成された民族的宗教であり、後に渡来してくる仏教・儒教・キリスト教等すべてと共存できる自由と幅の広さを持った、神と人間とを結ぶ思想であった。
あらゆる純粋な心―――魂―――を招き団欒する場としての"能"を創りたいと靖記氏は、考えたのだろう。能や狂言という芸術(古典芸能)の通の人だけに呼びかけるのではなく、こういうものが日本にはあったのだと気づいてほしいと多くの人に呼びかけるのである。
昨年十一月十二日の第二回招魂は梅若能楽学院の能楽堂は、超満員であった。靖記氏の後援者やお弟子さんだけでなく、能をはじめて観る若い男女でぎっしり埋められた。
そこで靖記氏がプレゼントしてくれた「井筒」はどんな印象だったのだろうか。私はそういう初々しい鑑賞ができる若い人々をうらやましく思う。素直に能を受け取ることは若い時ほど可能なのだ。能を長年観続けて来た私は、確かに筋書きや演者の巧拙、主題をうけとることは詳細になっているかもしれない。
靖記氏の祖父二世梅若実の演じた「経政」はかわいらしい印象の初心者向きの小品ということになっているこの曲から深い人間の心と否応なしに置きこめられた運命を私が考えさせられた能である。梅若の能は西洋音楽に劣らぬ流麗さを秘めた声楽であり、鮮技で観客をとらえる華麗な存在だとされていた。しかし八十歳に近い老名人は以上の芸風の特色をどの若い演者より保持しながら、つまり艶やかでありながら人間性の深い情念を発揮していた。靖記氏の父君恭行氏が年齢的にもその二世実の域に迫りつつあるが、まだ三十代の靖記氏にもそれを求めるのは無理であろう。
しかし靖記氏にはその偉大な父祖たちの芸を継承する意欲があると私には思えた。発足二回目の会で最高の幽玄曲「井筒」に挑んだことがその証明であり、本来氏の声域はテノール的であるのに、抑制してバリトン的な低い力強さを身につけようとしている点にも感心したのである。元来能は、小柄な身体に適して面装束が作られている。長身な靖記氏はその点にも工夫をこらして自己の芸を築いて行かなければならない。語り草となっている祖父実の「井筒」を目標に公演会能"招魂"を発足させた靖記氏をはじめての能見物をした若い人にも長く観つめ応援して頂きたい。
朱と水色の唐織に若々しさを見せ、蒼古な印象の面(若女とも増とも見える。)と相俟って華やかさの中に渋い情感を漂わせる梅若風の舞台を成功させていた。ベテランでも困難な居クセの姿勢が整っていた。後シテの序の舞も囃子にのってこの曲調の秋冷の雰囲気を醸し出すことに成功していた。
「業平の面影、見ればなつかしや」と薄をつけた井桁の作り物の井筒をのぞき込む型所も面の伏せ方に全曲の印象を大きくさせる効果が出た。
靖記氏の真摯なたゆまぬ精進を私も期待して見つめて行きたい。
番組の見方と能舞台の構成
沼佐真也子
これは何か、そして何故か、を知らない能鑑賞の新人にとっては能楽堂に足を踏み入れて受付で渡される「番組」と呼ばれる能のプログラムは、実に不可思議なものである。要するに何が何だかさっぱり訳がわからないのである。
何も知らない観客にとっても、音楽の美しさ(私の場合は、耳から最初に魅せられた以外、ほかの一切は理解できなかった)、能面装束の絢爛豪華なえも言われぬ華麗さ、そして全ての出演者の完璧に計算され尽くした動きと静止のバランス。まさに、どんな先端科学をも超え得る人知の極み。
音楽性、演劇性、舞踏性、そして文学的にも、能は誰にとっても充分満喫できるものである。しかし、能には、他の舞台芸術と同様に、いくつもの約束ごとがあり、そのひとつひとつを知れば知るほど、味わう楽しみが増幅され、そして"深みにはまっていく"という魔力がある。
一端知れば合理的
能楽は4種類の役割分担から成り立っており、それは四役と呼ばれる「シテ方」、「ワキ方」、「狂言方」、そして「囃子(ハヤシ)方」である。
囃子(ハヤシ)では、番組表の中のレファレンス・ナンバーと舞台上での位置を照合しながら、番組を見ていくと、舞台上での位置に沿って、番組が、いとも立体的に構成されていることが、一目瞭然にお分かりいただける。
まず、能から。主役であるシテ方の主演者は(シ−1)、観客への水先案内とでもいえるような役柄を司るワキ方は(ワ−1)、前シテが幕入りして(中入り)後シテが現れるまで、物語の説明などをする"間狂言(アイ狂言)"は(キ−3)である。伴奏によって物語の流れやクライマックスを演出する囃子(ハヤシ)方は、笛、大鼓(おおつづみ、又はおおかわと呼ぶ)、小鼓そして太鼓の四種類の楽器から成り立っているが、太鼓はない能曲もある。番組上では、大、小、太鼓、笛、つまり右上、左上、右下、左下、となっている。
能・狂言の組み合わせから成り立つ公演の中には、能のデッサンともいえる"仕舞(しまい)"、能の中の一番の見せ場を囃子と共に舞う"舞囃子(まいばやし)"(どちらもシテ方の人が装束なしで、紋付、袴又は裃にて舞う。)、独立した演劇としての"狂言"等で、構成されている。
そして、後見(シ−4)は演能が始まった後に舞台に出て入り、終わる前にさっさと姿を消してしまう不可思議な存在であるが、実は重要で、演能が滞りなく進行するための舞台監督であり、シテ演者に何か舞台を続けられなくなるような事故が起こって場合に即座に替わって演能を続けるという約束ごとがある。そして、物語の流れやクライマックスを謡(うたい)によって演出するのが地謡(シ−3)で、舞台を上にして席の通りに番組上に位置している。地頭は後列中央で、謡のみによって地謡の指揮を執る、西洋音楽のオーケストラで言うならば、指揮者ともコンサートマスターとも理解したら、特に若い年代は分かりやすいかもしれない。
見所と言われる観客席は、位置によって、3つの呼称があり、正面、脇正面、そして中正面である。角度によってそれぞれに趣が違い、その日によって席を替えると、能の立体感を満喫できる。ただどこに座って観るかは、人それぞれ好みの問題である。
とりあえずは、出演者の役柄を、番組の中で知って、番組の見方に慣れていくと、普段見なれている欧米風、現代風のプログラムは実に平面的でしかないことに気が付くのである。