No.6 1996年

能の現代的おもしろさ
リチャード・エマート(武蔵野女子大教授)

 能を初めて見る人には分かりにくい面がたくさんある。映画やテレビドラマの写実的な演技に慣れている現代人は能の徹底的な様式性が受け取りにくい。動きがゆっくりしているところから、謡の「台詞」の聞き取りにくさや、空間や時間の抽象性まで、あらゆる要素に惑わされる。何をやっているのか、何を言っているのか、ストーリーは何だかさっぱり分からないと思う人が多いことはいうまでもない。
 ストーリーを何よりも大事にするのが、映画やテレビドラマも含めて、そういう写実的な芝居だ。それを見て、ストーリーがおもしろくないなら、救いようがなく芝居そのものがつまらなくなる。
 しかし能は、写実的な芝居と違って、ストーリーが何よりも大事な要素だという訳ではない。大体、能のストーリーは単純で、数行の解説で説明が十分出来る。慣れてくると、ストーリーよりもその詩的な、そして非写実的な表現の仕方に興味がわく。むしろ様式的な表現の中で、人間の感情が強調されるし、写実的に表現するより様式的に表現する方が深く感動させられる気がする。
 見方をまた変えれば、能は600年以上前の舞台芸術だと言いながらも、現在では、むしろ前衛的な舞台芸術のようなものだという気がする。西洋の前衛演劇やダンスの中では写実的なものが、もうおもしろくなくなったと思う人が少なくない。むしろ様式的なものの方がおもしろいと思う人が多くなってきている。既に能が取ってきた様式の道を、新たにふたたび歩みだしている人が増加している。

「望月」のあらすじ
 能はストーリーが一般にあまり大事にしないと言っただけで「望月」の能には珍しく劇的な構成で歌舞伎に近いようなストーリのややこしい展開だ。場面ごとにわけて番号をつけてみると、そのあらすじが次のようになっている。
 安田庄司友治が、いとこの望月秋長と口論の末に殺された。その後、安田の家臣の一人であった小沢刑部友房(シテ)は今は密かに近江の国の守山で宿屋の主人になっている。(1)そこに安田の妻(ツレ)と子供花若(子方)は敵の手を逃れて偶然にも小沢の宿屋にやってくる。(2)小沢は自分の主人の妻子だと知って、身分を明かし互いに涙を流す。(3)
 今度はまた偶然にも(これが本当に歌舞伎に近い!)望月(ワキ)とその従者(アイ)が同じ宿にやってくる。(4)名を隠して宿を取るよう命じられたその従者が口をすべらして、小沢は望月だと気づく。(5)小沢はそのことを妻子に告げ、二人と相談して計画を立てる。その妻を盲御前に仕立てて、花若に手を引かせて、望月の座敷へ連れて行く。(6)望月は祝いの酒を飲み、慰みに盲御前に曾我兄弟の仇討ちの物語を謡わせる。(7)花若は「いざ討とう」と叫び、望月とその従者が、一瞬身構えるが、小沢が間に合って押さえる。そして花若が「羯鼓(かっこ)」小沢が「獅子」を舞う準備のため、中入りする。(8)
 望月の従者は盲御前の謡をほめたりした後、花若の「羯鼓」の舞を誘う。(9)「羯鼓」(10)の後、小沢が出て来て、望月のようすを折々うかがいながら、「獅子」を舞う。(11)望月がこの面白さに気を許し、酒の酔いに眠り伏したすきを見て、花若と小沢は望月に向かって名乗り、そして力を合わせ仇を討つ。

「望月」のみどころ

 この「望月」の能にはいくつかのみどころがある。
 まず、その劇的な展開からなるのは、シテの小沢は直面(ひためん)で、役者の本当の顔が能面になる訳だ。写実的な芝居に慣れている役者にとっては自分の本当の顔を見せるのが当たり前だが、能役者にとってかえって難しい。その写実性と様式性の境目の問題だ。気をつけないと、この劇的な「望月」は、ただの芝居になる恐れがある。いくら劇的な演目だと言っても能の様式の中で演じることでないと、能でなくなる。
 そして、この劇的な事件を見せることだけが、大事ではなく、芸能を見せることも大事だ。曾我物語の謡、そして「羯鼓」と「獅子」の舞は人が芸能として演じている。この「獅子」は「石橋」という能の「獅子舞」とは違う。「石橋」は獅子が舞うのであるが「望月」の獅子舞は人が舞っているので、趣が違う。
 この「望月」の「獅子舞」の扮装は「石橋」と違うところも特に面白い。「石橋」の「獅子口」の面に対して、「望月」は白頭に(通常は赤頭だが今回は白頭という特殊演出である。)二枚の扇をのせた覆面で、当時の芸人の扮装に近いものであろう。
 最後は能の様式の中で、望月が殺される場面も注目してほしい。映画等の写実的な殺し方になれている我々現代人は、様式的な方法に「なるほどな」と言いながら、深い感動を覚えるのだ。

ヨーロッパ公演97へむけて 梅若靖記抱負を語る

聞き手:沼佐真也子

Q: 今回は来年6月に予定されているヨーロッパ公演について、お話を聞かせていただきたいと存じます。公演実現のいきさつや、靖記さんの抱負について、読者の皆様にご紹介ください。
A: 文化的背景の豊かなヨーロッパ、日本とはまったく異なるあの独特の文化のふところへ能を持って行きたい、というのはかねてからの私の念願でした。そして今回、パリのポンピドューセンターでの公演計画が持ちあがり、是非にと話を進めてまいりました。これはそもそも、15年目を迎えることになった[日比谷シテイ夜能]の延長線上にあります。近代的な空間においても成り立つ能という舞台芸術の普遍性を証明できたという成果を踏まえた上に実現するものです。また、来年はフランスにおける日本年になっており、その催しに参加することになります。
Q: 世界中のそれぞれの町にはそれぞれの個性があります。その中でも特に"パリで"と思われたのは?
A: パリは古い歴史をふんだんに抱える町であると共に、新しいもの、例えば、ポンピドューセンターのような、また古くは、カール・マルクスが亡命し、そこで「共産党宣言」の初版を発行したというように、懐の深いところです。そしてパリの人々、その包容力、その社会文化性という受け皿の中で、実験してみたい、というのが私の夢でした。
Q: その公演の靖記さんの立場は?
A: 「日比谷シテイ夜能」を持って行くので、監修は、父恭行が致しますが、私はプロデューサー的な立場として、全体を見ていきます。もちろん役者としても舞台に立ちます。
Q: 公演の構成はどのように? A: まず第一に、にわかショー的なものではなく"本物公演"をします。全てフル公演、もちろん梅若会フル・メンバーで行います。言うなればミラノのスカラ座引越し公演を向こうにはった、梅若会そのものが引越し公演をする、ということです。
Q: 演目の候補としては?これは一番重要なところだと思いますが。 A: 「砧」「藤戸」「三輪」「景清」「隅田川」など。誰にでもわかるテーマ性があるものを考えています。「邯鄲」「井筒」などもやりたいのですが、作物(舞台上に置く装置のようなもの)の問題があります。
Q: 舞台はどうなさるのですか? A: 本格的なものを造ります。日本から棟梁に行ってもらおうと思っています。ダクトがむき出しになっているような超近代建築の中に、能という700年の古きものを持っていきたいのですから。
Q: 日本の舞台芸術と海外の舞台芸術に対する考え方の違いがありますか?
A: 芸術に対する考え方や在り方に根本的な違いがあると思います。例えば、ヨーロッパでは役者はもちろん舞台の監督も含めて、大道具・照明・音響係までアーティストである、という考え方が当たり前です。日本ではなかなかそうはいきません。
Q: 芸術に対する助成金制度などはどうですか?
A: アメリカや日本には海外から芸術文化を招くための助成金やそのための団体機関が存在しますが、ヨーロッパには存在しない。そうした発想がないのです。みんな陸続きで外国から呼んでもそんなに経費がかからないから、必要ないのですね。その上、行政が全面的に芸術をバックアップしていますから。ただ日本から行くには渡航費に相当な費用がかかります。幸い、今回は日本財団や国際交流基金などから、助成が受けられそうですので助かります。ただ、それだけではまだ不足です。
Q: 外国の友人を能観劇に誘うと「言葉がわからないが大丈夫か」とよく聞かれます。「大丈夫、日本人でも戦後世代はわからないほど古典語だから。感じれば十分」と説明することにしています。最後に、言葉の問題についてはご経験上どのように思われますか? A: 言葉がわからない外国人の方が、かえって、克明に微妙な動きや演技を象徴しようとする心理、テーマを一部も逃がさずに感じ取っているということが多々あります。ですから、言葉の問題は関係ないと思います。物語の筋はたいてい前もって、誰でも読んでから観劇に来るものですし、言葉の壁を超越した次元で必ず分かっていただけます。


能を初めてみる時のガイド

 前回に続き、OGATAMA編集局が独断で簡単な表にしてみました。尚、眠さ度とあるのは、決してつまらないという意味ではありません。心地よい幽玄の世界へ導いてくれるという意味です。ご理解くださいませ。

羽衣

主な登場人物 天人(シテ)、漁夫白龍、漁夫
中入の有無
眠さ度 ☆☆
静――→激 ☆☆
増 又は 若女
ストーリー
及び特徴
漁夫に羽衣を取られてしまった天人が、返してもらった御礼に清らかな舞を舞って天へと帰っていく。「いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを」という言葉が印象的である。各地にたくさんの羽衣説話が存在している。

鉢木(はちのき)

主な登場人物 佐野常世(シテ)、常世ノ妻、最明寺時頼
中入の有無
眠さ度 ☆☆
静――→激 ☆☆☆
ストーリー
及び特徴
身分を隠し僧となり鎌倉に帰る時頼は、途中で大雪にあい、一夜の宿を借りる。秘蔵の盆栽を薪に当てもてなす主は、貧困している中でもいざ鎌倉には、備えていると告げる。戻った時頼は、真偽を確かめるため招集をかけると痩馬に乗ったその主が現れる。

班女(はんじょ)

主な登場人物 遊女・狂女(花子)(シテ)、吉田少将、宿の長
中入の有無
眠さ度 ☆☆☆
静――→激 ☆☆
前シテ 若女 又は 増   後シテ 若女 又は 増
ストーリー
及び特徴
宿の遊女・花子は、春に寄った吉田少将と契り以後交換した扇ばかりを見て、ほかの座敷に出ようともしない。ついに宿の長に追い出される。やっと探し当てた少将は、花子に扇を見せよと言うがなかなか見せないので、自分の扇を見せて再会する。

百萬

主な登場人物 狂女(百萬)(シテ)、百萬の子、里人
中入の有無
眠さ度 ☆☆☆
静――→激 ☆☆
深井
ストーリー
及び特徴
里人が拾った子どもをつれ、大念仏詣でに出かける。狂女がいて、子どもを捜し求め、阿弥陀仏にすがっている。突然子どもが「あれはお母さんだ」というので、里人が事情を聞くと狂女は身上を語り、里人は見かねて親子を会わせ再会を果たす。

二人静

主な登場人物 里女・静の霊(シテ)、菜摘女、神職
中入の有無
眠さ度 ☆☆
静――→激 ☆☆
若女
ストーリー
及び特徴
神前に供える若菜を摘みに出かけた女が川のほとりで不気味な女に供養のことを頼まれる。戻った女が報告をしていると静の霊が取り付く。静の舞衣装を身につけ舞を舞うと同じ姿の女が現れ、全く同じ舞を舞う。

舟弁慶

主な登場人物 静・知盛の怨霊(シテ)、義経、弁慶、船頭
中入の有無
眠さ度 ☆☆☆
静――→激 ☆☆☆☆
前シテ 若女   後シテ 三日月
ストーリー
及び特徴
都落ちをして、西国へ向かう義経一行が、大物の浦まで来た時、静を帰らせることにする。名残の酒宴を開き、静は別れの舞を舞う。舟を出すと平家の怨霊が現れ、行く手を阻もうとするが弁慶に祈り伏せられる。

松風

主な登場人物 松風の霊(シテ)、村雨の霊、旅僧、須磨浦人
中入の有無
眠さ度 ☆☆☆☆
静――→激 ☆☆
若女
ストーリー
及び特徴
旅僧が須磨の浦につき、磯辺の松について浦人に聞くと、海女の松風・村雨姉妹の旧跡だとのことだ。僧は念仏供養をして、とある塩屋に一夜の宿を借りる。宿の主は松風・村雨の霊であった。行平の思慕を語って舞う。

紅葉狩

主な登場人物 貴女・鬼神(シテ)、侍女、維盛
中入の有無
眠さ度 ☆☆
静――→激 ☆☆☆☆
前シテ 若女   後シテ 般若
ストーリー
及び特徴
山中で女性達が紅葉狩をしているところへ狩に来た維盛が出くわす。女性達のすすめで維盛も酒宴に加わっているうちに、眠ってしまう。夢中に神の告げを受け、目を覚ますと恐ろしい妖怪が襲ってくるが、維盛が退治する。

山姥(やまんば)

主な登場人物 山女・山姥(シテ)、遊女、従者、里人
中入の有無
眠さ度 ☆☆
静――→激 ☆☆☆
前シテ 深井   後シテ 山姥
ストーリー
及び特徴
山姥とは山にいる鬼女のことで、その山めぐりの舞いを舞うので有名な遊女が、善光寺詣での帰りに、里の女に呼び止められ、庵へ案内される。夜になり、恐ろしい鬼女が現れ、本当の山姥の舞を舞って見せる。

熊野(ゆや)

主な登場人物 熊野(シテ)、朝顔、平宗盛
中入の有無
眠さ度 ☆☆☆
静――→激 ☆☆
若女
ストーリー
及び特徴
病気の母の看病のため暇乞いをしている熊野だが、宗盛より許しが出ない。そんな中で花見に同行する。酒宴の時に、舞っている中で詠んだ歌が宗盛の心を打ち、帰郷を許される。

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