佐渡に旅して
佐甲富江)
今、私の手元にちょっとおもしろい本が一冊ある。『佐渡流人史』佐渡在住の史学会博物館・学校関係の人々の編集、執筆によるもので、奈良時代から江戸前期までの約千年の間に佐渡に流刑された人達の足跡をまとめたものだ。計三百二十六人。そのすべてが一覧表に示され、史料、伝承によって流人達の生活が丹念に描かれている。承久の乱に敗れて配流され佐渡に没した順徳上皇、赦免後「佐前佐後」といわれるような思想的な転換を果たした日蓮、京に帰った後勅撰の「玉葉和歌集」を一人で編んだ京極為兼、平家物語にも登場する文覚など。そのまま佐渡の土となった人も、赦免され都に戻った人もあるが、その配所の風景や史跡、文化財などの写真が豊富に収録されており、歴史の一側面として遠流の意味を考えさせられる。
もちろん、この流人の中に『世阿弥』が「なぜに流された能楽の大成者」という見出しで描かれている。世阿弥の佐渡配流についてはいろいろ書かれた書物も多くあって、一時期私も興味を持ったこともあるが、相手が大きすぎて、吾が思考力の限界を確認するばかりだった。
しかし、この本を手にした数年前の桜の頃、私の心は佐渡へ佐渡へとなびいていった。大田の浦(現在の多田港)に着岸した世阿弥が笠取峠を越えて訪れた長谷寺、懇ろに礼拝したと綴っている十一面観音、配所の万福寺跡の碑、正法寺には境内片隅に伝承の腰掛石があり、又新潟県文化財に指定されている神事面べしみが所蔵されていて、現代の能面作家の作である世阿弥像も寄贈されている。地図をたよりに巡り巡ってたどり着いたのは大膳神社の能舞台だった。現代に伝わるのは江戸時代にはいって以降広がったもので三十三ヶ所の能舞台が各地に現存するそうだ。ひっそりと木立の中に立つ舞台。木々の間を流れる風の音以外何も聞こえない。刻の止まったような静けさの中でしばし息を休めていた私は、ふと舞台に長刀を頭上に構える平家の武者が現れたように思った。そうだ!あと数週間後には年一回の発表会で船弁慶を舞わなくてはならない。義経と弁慶を相手に戦い敗れていった平知盛にならなければならない。ここで一瞬の内に現実に引き戻され、バッグの中の練習用カセットテープを手で探ったりした。
舞台に立つようになって何年になるだろう。ほんのちょっとした興味から謡と仕舞を始めてからもう十数年、謡本が数十冊、舞台の写真やビデオテープも、かなりの数並んでいる。最近はとみに記憶力が衰え、忘れるのは早く、身体は考えたようには動いてくれず、舞台に立つ日を考えると不安で一杯になる。反面、気持ちは余裕ができたのか、ずうずうしくなったのか、本番の出来不出来は別としてそこまで自分自身を持って行く過程を楽しもうと思うようになった。「舞台上では私が主役、与えられた時間を楽しく過ごそう」。そう言いきかせて切戸口をくぐる。地謡の先生方も、お囃子方も精一杯私を盛り立ててくださる。こんなぜいたくな時間を今年もまた持つことが出来た幸せ。
能舞台の正面に立ってしみじみ思う。この三間四方の空間になんと多くの人々の人生、生と死が語られているのだろう。その時代時代で状況は違っていても、愛も憎しみも、悲しみも怨みも、現代の私達を引き付けて離さない。
佐渡を離れる日、小木港沖からふり返るとかすんだような島に虹がかかった。『シテ』の出を待つ橋掛かりのようだった。
梅若靖記重要無形文化財総合認定
本年6月8日付けで、梅若靖記氏は文部大臣より文化財保護法の下に重要無形文化財能楽(総合指定)保持者として認定された。それに伴い8月10日午後1時より、国立能楽堂において認定式が行われた。その後2時より舞台で披露記念会が行われ、素囃子・独吟・連吟・仕舞・一調ほかがなされた。靖記氏は仕舞「松虫」を舞った。能楽界全体では34名うち観世流からは23名の認定で、梅若ではほかに赤瀬康高・赤瀬雅則・梅若晋矢・松山隆雄・森田宰永、各氏が認定された。
田園調布舞台完成
昨年1月末より、稽古場舞台を取壊し新築いたしました。11月をもって竣工し、本年1月7日に舞台披露をいたしました。新築の舞台は、約70平方メートルの広さで地下部分に位置し、短いながらも橋掛かりがあるものとなりました。地下ということで、エレベーターも完備しております。稽古場の空いているときには、一般の方にもお貸しいたします。お気軽にお問合せくださいとのことです。