No.21 2004年
人間の内と外−<卒都婆小町>の魅力−
小田幸子

 芝居であれ映画であれヒロインといえば、若くて美しい女性に相場が決まっていよう。ところが、能<卒都婆小町>のヒロインは、百歳にもなる「乞食の老婆」である。「霜が降りた雑草のようなボウボウ髪、裂けた衣をまとい、破れ笠を持ち、首には食べ物を入れた袋かけ・・・」などと描写される姿で登場し、深草少将(彼女が若い頃翻弄した男)の死霊が憑き崇て狂乱する。見た目に美しいとは言い難く、共感も持ちにくい。また、彼女は次から次へと異なる様相を現し、まことにとらえどころがない。
すなわち、@醜怪の乞食老婆、A大悟を得た人物、B小野小町、C突然の狂乱(物乞い、深草少将憑依と百夜通い物まね)、D覚醒と悟り、という具合に変貌を重ねていく。主人公の像が一つに結ばれずに変幻自在に移り変わる点が、大きな特色なのだ。以下では、変貌の過程に焦点をあて、主人公の造詣を探ってみたい。なお、世阿弥伝書の記事によると、原作者は観阿弥である。ただし、世阿弥の改訂が加わっているようで、かつてはシテの道行きが現行より長く続き、「後は、その辺に玉津島の御座ありとて、幣帛を捧げければ、みさきとなって出現ある体なり。・・・」(『猿楽談義』)、すなわち小町が玉津島明神に幣帛を捧げると、明神が使者の鳥を使わす場面があったという。原作・改訂の実態については諸説あるが、能の中でも、相当古い面影を残していると推測される。

 さて、全体は、大きく二つのパートに分けられる。前半(@A)が「卒都婆問答」、シテの名乗りであり正体明かしでもあるBをはさんで、後半Cが、「百夜通いの物まね」である。無知蒙昧に見えた乞食老婆が、高野山出身のバリバリの僧侶を完膚無きにまで論駁する「卒都婆問答」は、一種の「宗論」(宗教教義をめぐる言語の闘争。二手に分かれて相互に質問と回答を重ねていく)とみなされる。互いに相手の言葉尻を捉えて反論し、言語的レトリックを駆使しつつ、最後に「善悪不二、煩悩即菩提」の宗教的境地に行き着く点など実際の宗論に近似しているが、なんと言っても痛快なのは、弱者が強者をやりこめる「上下関係の逆転」であろう。仏の広大な慈悲は万人に及ぶことのみならず、人は見かけによらないことをも、気持ちよい実例で示しているのだ。

 こうして老婆への興味が高まったところで、正体が知らされる。老婆は「小野小町の成れる果て」であった。平安時代前期の著名な歌人小野小町は、伝説にまとわれている。美女の栄枯盛衰を述べた長編漢詩『玉造小町子壮哀書』(平安時代後期成立)の主人公と同一人物とみなされ、「驕慢な美女だったが、年老いてからは零落して諸国を放浪した」との伝説が中世には成立していた。『壮衰書』の影響はBの箇所に著しく、毅然とした「卒都婆問答」の小町から一転して、あさましい姿で「のう物賜べのう」と僧に物乞いするや、狂乱状態に入っていく。深草少将に百夜通いをさせ、少将は九十九夜目に死んでしまったというものも小町伝説の一つであるが、能以前の文献は確認されておらず、能を通じて広まったようである。老人が若い頃の愚かな恋模様を語る「色ざんげ」は近代以降の小説や戯曲でも馴染み深いが、Cは「憑き物物狂い」として描く点がユニークである。ある人物の内面が他の存在に支配されてしまう憑き物は現実世界でもしばしば見られるところであり、能では初期の頃からこれを芸能化して演じていた。世阿弥は「女物狂いなどに、あるいは修羅闘諍・鬼神などの憑く事、これ、何よりも悪しき事也。憑物の本意をせんとて、女姿にて怒りぬれば、見所似合わず」(『風姿花伝』「物学条々」)と否定的だが、憑く側と憑かれた側との落差が大きければ大きい程興味が増すのも一面の真実であり、外見は老婆なのに声つきや行動や心情は男の死霊という、<卒都婆小町>のオドロオドロしい様相は、まさに「面白尽くの芸能」(同上)として迎えられたのではなかろうか。この段で小町はいわば男性に変貌するわけだが、最後には狂乱状態から脱し「悟りの道に入ろうよ」と結ばれる。
 波乱に満ちた生涯を送った小町が主人公だからこそ描けた能である。狂女であり聖女であり巫女でもある小町は特権的な女だ。なおかつ、彼女は女というものの典型だと思われている。そして、一つの像を結んだかと思うと、次には不意打ちのように全く異を体現している貴重な存在である。一人の人間の中には、その人が経験した事のすべてがたたみ込まれている。若い頃の自分もいれば異性も棲んでおり、時を得て姿を現すのだ。はげしく狂乱もするし、ひたすら仏を求めることもある。多様な自己をひとつの枠に押し込め過ぎてはいけない。
 余計なことかもしれないが、ここに書いたのは、あくまで<卒都婆小町>を「読んだ」上での意見や感想であって、実際の舞台はまた違う。個々の役者がいかなる局面を切り開いてくれるか、そこに作品を見る大きな楽しみがある。

融 十三段之舞について:後半において、通常は五段早舞いのところを、黄鐘【おうしき】(笛の音の高さ)五段、盤渉【ばんしき】(笛の音の高さ、普通より高い音)五段、急之舞三段で、計十三段の舞を舞います。
その昔ある殿様が、舞を舞っているうちに気持ちよくなって、囃子方に繰り返すように要求し舞った後、さらにと要求してきたので、囃子方が意地悪をして、速度を上げ演奏して舞ったことが、終わってみたらとても良い演出だったということで、小書き【こがき】(能の特殊演出)に加わったという逸話が残されています。
 昔は「知らせ」といって、舞の終わりに、もう少し舞いたい時は舞の扇を閉じれば「舞い返します」(繰り返す)という合図で、扇を開いていると「これで終り」という意思表示
だったようです。

源融について:嵯峨天皇の皇子で、本来は天皇になっても良い血筋だが、源氏方から嫁を取っていたのが要因でか、兄の仁明は藤原氏の娘を嫁にしているため優遇された天皇にもなっている。
このころより藤原氏が勢力を持つようになってきていた。本人の意思とは裏腹に政治的にも社会的にも不遇の立場に追い込まれ、六条河原院にこもり風流な生活三昧で生涯を終えることになる。
光源氏のモデルの一人といわれている。
六条河原院は、源氏物語において夕顔が、物の怪に憑かれて死んだ場所とされている。

靖記の英会話教室 イン アムステルダム 
梅若靖記

今から8年前の95年12月のことである。私は翌年6月のヨーロッパ公演のためにパリとアムステルダムを訪れた。パリは数回訪れているが、アムステルダムは初めてだった。パリでは単独行動ではなかった。考えてみれば海外へ一人で行くのは初めてであることに、後から気がついた。かなりの緊張の中、単独でアムステルダムへ向かう。パリのホテルにて、空港へのタクシーを待っている間に、カフェオレを飲んでいた。飲んでいるうちに、「あれ?」という感じがしたのを覚えている。空港へ行く間に腹痛がしてきた。その後はご想像の通り、腹痛の上にトイレとの往復。パリよりアムステルダムへの間、飛行機での移動中も大変だった。これが会社員なら現地の支社の人が迎えに来てくれるのだろうが・・・。何とかホテルまでは無事にたどり着いた。パリ公演に関してはある程度決まってきていたのだが、アムステルダムでのホーランドフェスティバルへの参加はまだほとんど未決の状態。とにかくここで何とか決めてこなければというぎりぎりの精神状態だった。ホーランドフェスティバルへの参加のため、主催者側と協力して頂きたい各方面とのアポイントで、翌日からのスケジュールはいっぱいだった。
普段だったらきっとなんでもなかったのであろう。しかし先ほど述べたように、かなりの緊張のため体調を崩し始めていたらしい。ホテルにて明日の打ち合わせの前に、フェスティバルのディレクターと夕食。その間も止まらない。その後部屋に戻って休んだが、いっこうに快方には向かわない。明日はまだまだしなければならないことが山積している。ここで倒れるわけにはいかない。異国の土地で病気になること程心細いことはない。おまけに初めての土地で一人である。まずはフロントへ連絡を取り、お腹の調子が悪くなったことを告げ、薬の有無があるかどうかを確かめた。薬の常備はないが、明日の朝になれば、近くの薬局が開くという。場合によっては医者を呼んでくれるという。医者を呼ぶ程ではない気がする。フロントとの電話での会話はもちろん英語である。断っておくが私の英会話力は、かなり乏しい。こうなると不安は増すばかりである。宿泊していたのは、ホテルオークラアムステルダムだ。日本人が常勤しているはずである。そこでわたしは日本人と話したい旨を告げた。そうすると対応していた人が、「何故か?」と聞いてきた。「私の言っていることをあなたは理解しているし、あなたの言っていることも私は理解している。何か問題があるのか?」と言ってきた。相手は対応に落ち度があるかと疑問に思っているらしい。そんな意味でないのだ。何故かと言われても今の不安で一杯な私には、とにかく耳慣れた言葉が聞きたいのだから・・・。こういう場合はどう言えばいいのだろう?ない知恵を一生懸命振り絞った。そこで一言「I want to speak in Japanese.」すると意志が通じたらしく日本人のスタッフが出てきた。やはり日本語で会話が出来るとほっとする。状況を説明するとオランダの薬は強いので、日本人には向かないという。ホテルの地下に日本食材の店があるので、そこでヤクルトを入手し飲む方が賢明だという。やはり体質のこと等細かいことは、日本人に聞かなくてはわからなかった。翌朝アドバイス通りヤクルトを飲んで、何とか日程はこなした。侮るなかれ恐るべし乳酸菌飲料。その後海外へ旅をする場合は、簡単な薬を必ず持参し、ヤクルトを見つけるとすぐに購入するようになったのは言うまでもない。

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