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No.22 2005年
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能の普及について
沼佐真也子 外堀の外の人 能楽堂へ足を運ぶ観客人口のすそ野を広げる為には、外堀の外の人をいかに巻き込むか、そして、その方々をいかにリピーターにすることができるのか、という課題に、靖記氏も私を含む「おがたま」会の世話人一同、20年に渡り試行錯誤してまいりました。ですが、その殆どは靖記さんと同夫人の双肩にかけっきりでした。お誘いすれば10人中9人「是非行ってみたい。今まで、どこでどうやって観ることができるのかわからなかったから。」「眠っちゃうんじゃないかな。失礼に当たるでしょ?」「特別な世界でしょ?大丈夫かしら。」等々のリアクションが返ってきます。それは、能楽とは特殊な世界で、“特別な人だけが共有できるもの”という先入観が、外堀の外の人の中に現存するからではないでしょうか? 言葉 実は私、父のゴーストライターでした。亡くなった父は糖尿病専門の内科医でした。“一般向けの”雑誌や新聞によく頼まれて執筆しておりました。その初回、読んでみてと言われ、母と私はその父の書いた原稿を読んでみました。すると、まるで何が何だか分からないものでした。もともと文章は苦手な人でしたが・・・「これじゃ誰にも分からないわよ。医者以外には。」「そうお、じゃマヤ、誰にでも分かりやすいように書き直してみて。」 以来、私は父のゴーストライターになりました。まず父に、その時のテーマや狙いをしゃべらせ、そしてそれを私が下原稿にした後、父のチェックに沿って私が修正する、といった具合にです。これは私の卑近な(家庭内の)例ですが、人間は誰でも、自分が分かりきっている当たり前のことを、知らない人に説明するのはなかなか難しいものです。 「おがたま」第3回「井筒」の時だったでしょうか。母を伴った際、私が謡本をしきりに読みながら観能していると、傍らの母が「貴女、それを見ながらじゃないと分からないの?」「そう、読みながらじゃないと分からないの」「それは大変だわ。次の世代に伝えていくのは。」、「ママ分かるの?」「分かるわよ。」これは、第2次大戦以前に日本語教育を受けた世代と戦後世代の決定的な違いでした。 ある時、某米国企業の社長をお誘いした際、「是非とも行きたい。でも、言葉が分からないでしょ。」、「大丈夫、大丈夫。殆どの日本人も分からないから。戦後世代は特に。でも芸術は感じればいいものでしょ。」日本語が分からない外国人には当然です。日本人ですら分からない700年も前の中世の日本語なのですから。 またある時、グラフィックデザイナーを誘ったことがあります。例によって私はしきりに謡本を片手に観ていました。「読みながらじゃなくて大丈夫?」「何を言っているんだ。舞台に集中して満喫するんだよ。」・・・そう言っておきながら、しばらくすると彼は「やっぱりちょっと見せて」 やはり、難しい、お能を観に行くことは お能を観ることの難しさの一番は、能公演が一回きりということでしょうか。歌舞伎のように一ヶ月間毎日、同じ舞台が公演されれば、自分の都合のよい日を選んでチケットを買えばよいことですし、新聞評などを読んだ後に行くことも出来ます。でも能はそうはいきません。能公演の記事などを読んで行ってみたいと思っても、もうそれは、終わってしまった後のことなのですから。でもこれは仕方のないことで、ひとつの能公演は一回きりという決まりがあります。どうして?と思うでしょう。靖記さんに聞いてみて下さい。能と歌舞伎の公演の仕方の違いは、歴史的背景の違いにあると思いますが、そのことについては、又、後日にいたします。 リピーター 私の本業はODAのコンサルタントですが、外務省の国際協力援助を担当するJICA等々の公示を見て各専門分野で公開入札し、1位を獲得すると仕事ができる、というシステムになっています。公示は毎週されますが、ある時、事務局でそれを見ていて、「水理地質」という分野がありました。そこで先輩(地質の専門)に「うちには地質の人は何人もいらっしゃるじゃないですか」とお聞きしたところ、「うちの地質は鉱物分野ばかりで、水理はいないのよ。水理地質というのはね、例えば、雨が降るでしょ、そうすると、どれだけの水が地上に浸透し、どれくらいが川となって流れ、そして海へ入っていくのか、というものを計る地質の分野なの。我々には水も鉱物の一つなんだけどもね。」 この話を思い出して、リピーターのことがひらめきました。つまり水は、海から蒸発して雲となり、また雨となって地上を豊かにします。今後は水理地質を参考に、お能のリピーターについて悩んでみようか、などと取り留めのないことを考えている今日今頃です。 |
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