2003年1月20日に父梅若恭行が永眠致しました。生前は皆様方にたいへんお世話になり、厚く御礼申し上げます。
2002年1月に病が発見され、約1年の間病と闘ってまいりました。しかしながら2002年10月までは舞台を勤めさせていただき、お弟子さんの稽古は11月までつけさせて頂いておりました。そういった意味では生涯現役を貫き、舞台人としては幸せな人生を全うできたのではないかと思っております。
故人は梅若が大好きでした。私は、その遺志を継ぎ、梅若がますます繁盛すべく、その伝統を守り精進してまいる所存であります。父亡き後も梅若を温かい目で見守っていただければ幸いに存じます。何卒宜しくお願い申し上げます。(2003.2.24 梅若靖記)
<略歴>
梅若恭行うめわかやすゆき
1917年(大正6年)10月6日。東京生まれ。
観世流シテ方、日本芸術院会員(1992年)、日本芸術院賞受賞(1988年)、重要無形文化財保持者(総合指定)、社団法人日本能楽協会・元理事、財団法人梅若会副理事長
1917年、二世・梅若実の三男として生まれる。父・実、兄・五十五世梅若六郎に師事。能楽界における最長老、重鎮として活躍した。また後進の指導育成にも尽力するなど、能の伝統を守り、後世に伝えるべく精進を重ねてきた。真摯にして品格の高い芸風で知られ、なかでも1999年に東京と名古屋で勤めた能楽最高の秘曲「関寺小町」は、各方面から非常に高い評価を受けた。
海外公演にも積極的に参加。特に1994年にヨーロッパで開いた能・文楽・歌舞伎による「俊寛」の競演は初の試みとして、現地だけでなく国内でも高く評価された。また1997年の「梅若会・能ヨーロッパ公演」の団長をつとめ、パリ・ポンピドー広場での能「景清」のシテの演能は観客から絶賛された。
初舞台は1921年(大正10年)1月の仕舞「猩々」、初シテは1926年9月の能「忠信」、最後のシテは2001年10月の能「夕顔(山端之伝)」(日比谷シティ夜能)、最後の舞台は02年10月の舞囃子「絃上」(同)。
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12歳 「船弁慶」子方
10歳 「望月」子方
13歳 「鷺」
57歳 イラン公演
先代万三郎と共に
ファラ王妃に接見
55歳 「鸚鵡小町」
70歳 「道成寺」
79歳 「景清」
パリ・ポンピドゥー公演より
76歳 「安宅」
81歳 「翁」
81歳 「関寺小町」
 
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